真のヴィジュアル・アーティスト 宮本武蔵


見た瞬間に心が吸い寄せられ、なんともいえぬさわやかな感激で満たされる絵がある。
ぼくにとってのそれとは、かの宮本武蔵の筆になる「竹雀図」だ。


この絵を見ていると、この雀が前の瞬間になにを考え、そしてこの次の瞬間なにをしようとしているのかが手に取るようにわかる。
そう、この絵のなかに描かれた雀は、まさに生命をもって呼吸しているのだ。

おそらく武蔵は、目の前にふっと現われた、この大自然のなかに生きる小さな同志の姿を、特に時間をかけずにササッと見たままに描いたのだと思うが、この絵は単に、剣豪のその類稀なる絵心を偲ばせるだけのものではない。
ここには、自然界に深く通じているものでなければ決して感じることのできない、人間と動物との素晴らしいコミュニケーションと調和が美しく存在していて、それがこの絵の目に見えない奥底から、まるでササの葉をゆらすそよ風のように我々にやさしく語りかけてくるのである。

武蔵はきっと、山に暮す鳥や獣たちと、そしてまた野に咲く花や川のせせらぎとも対話することができたのにちがいない。


この感動を、音楽の世界でぼくたちに運んでくれたのが、アルゼンチンのアタウアルパ・ユパンキではないだろうか。


あまり「一枚の絵からさらにいろいろなものが見えてきて」などという経験をぼくは持たないが、この絵だけは別だ。
ぼくは後にも先にも、この作品を凌ぐ感動を運んでくれた絵画に出会ったことは一度もない。


実はこれ、知人がプレゼントしてくれたクリアファイルを拡大スキャンしたものだ。
とても趣味のいいもので、ぼくはこれに楽譜などをいれていつも持ち歩いている。

♪♪♪


こちらはそのあとで、気をよくした友人がふたたびプレゼントしてくれたクリアファイルにあった"枯木翡翠図"。

ぼくはまたもや、我を忘れてしばしの間この絵に魅入ってしまった。
"竹雀図"同様、武蔵は時間をかけずにササッと描いたのだと思うが、ここに描かれた一羽の翡翠(カワセミ)もまた、まさに生命をもって呼吸しており、さらに彼の背後の白い部分にも、一見目に見えない無限の広がりがある。


それは清流のせせらぎや、降り注ぐ霧雨のしっとりとした潤い、そして山林に響き渡るカッコウやヒグラシのさわやかな歌声だ。
武蔵は、この愛すべき一羽の同志を描くことによって、彼のまわりにある美しき自然界の風情すべてを表現したのである。


弱冠13歳で、新当流の有馬喜兵衛なる剣豪を絶命させたのを皮切りに、その若き日には、京の吉岡一門との三番勝負をはじめ、かなり血なまぐさい立ち会いを続けてきた武蔵だが、背後の主権争いがからんだ、ふたりの天才剣士にとっての宿命の悲劇ともいえる巌流島(船島)の決闘において、かの岩流佐々木小次郎を血に染めたのを最後に、以降一切の流血沙汰とは縁を切り、ただひたすらに真なる剣の奥義をきわめていった。


この絵には、そんな悟りを開いた人間のみが描くことのできる生命のはかなさと美しさがある。
ぼくはこんな絵を、生まれてこのかた一度も見たことがない。

宮本武蔵。


なんと素晴らしい人物だろうか!
もしぼくが絵を描く人間だったら、これを見たが最後、もう二度と筆など手にすることををやめてしまっただろう。

絵描きでなくてよかった...。


2007年、7月18日記


2007年07月18日 |

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